こんにちは。 グーグルタグマネージャ勉強中のファッションアナリスト山田耕史(@yamada0221)です。
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ファッションなんてカンタンです。格好良い服を着るのではなく、ダサい服を着なければいいのです。
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最近読んだ本のご紹介です。
20世紀モード史
プレタポルテの起源について学びたくて読み始めたのですが、色々学びがあったので面白かった点はツイートNON:¥ 4,212
しています。
”労働者の既製服のルーツを”探ると、これはもともと軍服をつくる家庭で生まれてきたものだった。かつて、女性裁縫師と仕立て屋は大きな工場に集められて、軍服を手で縫っていた。" #読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
"農村ではクチュリエールも仕立て屋も、ほんのわずかな注文しか引き受けることしができなかったが、彼らは普通、自宅で仕事をしていたので、経費もそんなにかからなかったし、食べていけるだけ稼げばよかった。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
"都会の職人は(家賃のために)工賃を釣り上げていかなければならなかった。もちろん、労働者にはそれを払うことはできなかった。このため、都会の仕立て屋はブルジョワの注文しか引き受けなくなっていったのである。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
そういやミシンがいつ発明されたのかなんて知りませんでした。ミシンの歴史も学びたいですね。
”一本糸の鎖縫いミシンはフランスの仕立て屋であったバルテルミー・ティモニエが発明し、1830年に特許をとった。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
「流行」の始まりは19世紀初頭だそうです。
”流行という現象が社会に現れるようになったのは19世紀初頭からと推察されるが、地域によってはそれ以前から存在したようである。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
”モードがそれまでのタブーを打ち破り、重々しい服装を単純化しながら、20世紀の衣服の形を具体的に現しはじめるのは1920年からである。そして、この現代の衣服があらゆる社会階層に広まっていくのも1920年からである。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
”(1910〜14年頃は)日常の服装も新旧の交代が著しく、特に若い男性の間ではフロックコートは完全に抹殺されていた。フロックコートは官公庁や公証人の事務所、あるいはそれに類する場所でしか着用されなくなったのである。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
パジャマの歴史も知りませんでしたね。もともと男性のものだったんですね。
”1916年はまた、夜着としてパジャマを着ることが一般化してきた年でもある。パジャマは基本的に男性のものであり、それまではいかがわしい筋の女性だけが取り入れていたので、娼婦のユニフォームとみなされていた。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
”そのパジャマの一般化は、女の尻を追いかけ回す男たちと平等であろうとした、この時代の女性の積極性を表すものであろう。女性は男の仕事をするようになって、性的にも積極的になってきたのだ。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
”(第一次世界大戦時)労働者階級の外出着とブルジョワ階級の外出着はまだわずかではあったが、着実に接近しはじめる。これによって、既製服業者は仕立て屋がつくる服に勝るとも劣らないスーツをつくることができるようになる。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
”第二次世界大戦後に労働階級と農民の生活水準が急速に向上してきたときには、すべての障壁が取り払われて、社会階級差による服装の違いはほぼ完全になくなってしまうのだ。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
二度の世界大戦で広がった軍服。これがファッションの歴史に与えた影響は大きかったようです。
”第一次世界大戦時の人間の交ざり合いと制服を着る生活はヨーロッパの大部分の地方で男性の民族衣装を消滅させることになった。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
”軍服は一般に伝統的な民族衣装よりも実用的だったため、軍服を着る生活習慣を身につけた男たちはこの単純な服装の方を好んだのである。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
”1909年から1919年にいたる10年間は、世界中で起こった(中略)あらゆる出来事を契機として、衣服が次々と変革されていった時代であった。そして、それらはすべて同じ方向に、すなわちモードの統一化に向かっていた。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
"ポール・ポワレの革命は西欧の支配階級の衣服を単純化することで、支配階級のモードをほかの社会階層に広めていった。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
”1919年から1939年にかけてはヨーロッパの影響が世界全体に拡大した時代であった。(中略)その最大の要因は支配階級のモードが単純化したことである。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
"(第二次世界大戦後のフランスで)多くの女性は夫を捕虜にとられて一人身になっていた。そして、着るものがなくなったとき、彼女たちはいなくなった夫のタンスから着られそうなものを引きだして着るようになった。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
"こうした行動のなかで彼女たちは無意識のうちに女性解放を実現していた。(中略)女性は男性のズボンをはくことで、家長としての新たな自分の役割を外部に示すことになった。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
"文明がまだ発達していない時代の軍服はこちらが敵であることを印象づけ、敵を威嚇し、恐怖を与える服でなければならなかったのだ。しかし、そのような金ピカの軍服は第一次大戦中に終わっていた。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
ミリタリーファッションのベースになっているのは米軍の衣料。日本でも同様だったようです。
"市民のなかに軍用の服を普及させたのは米軍であった。アメリカ軍は第二次大戦で勝利をおさめてヨーロッパから撤退するときに、軍の管理局が保管していた衣類のストックをそのまま置いていったのである。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
イタリアのファッション産業の歴史は意外と浅く、第二次大戦後から。
"戦前のイタリアには既製服産業はほとんど存在しなかった。イタリアに既製服産業が勃興してくるのは1950年代である。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
"急激な基幹整備と50年代の安い労働賃金に助けられて、イタリアは非常に安価な製品を市場に送りだし、たちまち世界有数の繊維輸出国にのしあがる。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
ファッションと生活水準。成熟した社会ではファッションへの関心が薄れる。
"子供にいい服を着せるのは生活水準の低い国なのである。つまり、貧しい国の親たちが子供にいい服を着せるのは、子供たぢが自分と同じように、みじめにみえるのがいやだからなのだ。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
"収入が増えてくると、服装以外の部分で豊かさを外部に示すことができるようになり、子供たちも物質的に満たされてくるため、相対的に服装への関心が薄れるのである。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
あ、変換ミスが…。番人→万人ですね。
"カルダンとサンローランがクチュールの新しい方向性を切り開いたことは確かである。それは創造を番人のものと考え、上流階級に対してクチュール部門で、中流階級に対してはプレタポルテ部門で発想を具体化していくというものだった。”#読書メモ https://t.co/6nw3EJEcgW— 山田耕史"ファッションをかんたんに。" (@yamada0221) 2017年4月17日
という感じで、僕は楽しんで読めましたが、結構分厚いのでそこそこなモチベーションがなければ読むのも大変だと思います。この本は服飾専門学生やファッション業界など、お仕事でファッションに関わる人の中でも特にこういった分野に興味がある人に向けたものでしょうね。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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