こんにちは。
先日友人に誘われて福山雅治さんのライブに行ったら一気にファンになってしまった
ファッションアナリスト山田耕史(@yamada0221)です。
今回はグッチの戦略: 名門を3度よみがえらせた驚異のブランドイノベーションのレビューです。
書評サイト(HONZだったかな?)で見て気になったので図書館で借りてみました。
結論から言うと
とても面白かったです。
ファッション関係の仕事をしている人には勿論、
グッチに限らずラグジュアリーブランドが好きな方や
ブランドビジネスに関わっている方、
考えが凝り固まった老舗企業に勤めておりイノベーションを必要としている方など、
一般のビジネスパーソンが読んでも参考になる点が沢山あります。
私は読みながら感銘を受けたページに付箋を張っているのですが、
これだけ貼った本は久し振りでした。
実際のページ建てに添ってレビューして行きます。
・驚きのラグジュアリーブランドの利益率
第1章は「グッチのブランドマネジメントとイノベーション」。
現在のグッチを取り巻く環境やブランド戦略のポイント、
ブランドのマネジメントやイノベーションによる価値創造などが紹介されています。
まず私にとって衝撃的だったのは
ラグジュアリーブランドビジネスの利益率の高さ。
2013年のグッチの営業利益率は32%。
日本のアパレル企業の代表格、
ワールドの同じく2013年の営業利益率が2.1%、
参照:ワールド 2013年3月期 連結決算 増収するも効率悪化で減益に 下期は利益面が改善 - Apparel Business Magazine アパレル・ビジネス・マガジン
利益率が高い事で知られるユニクロでも14%(国内)と
参照:ファーストリテイリング 2013年8月期 決算サマリー | FAST RETAILING CO., LTD.
グッチの利益率の高さは抜きん出ています。
この章ではグッチが1921年の創業以来今まで三度の大きな危機に直面し、
それらを乗り越えてきた事が紹介されています。
第一の危機は創業期。
創業者のグッチオ・グッチが立ち上げた小さなブランドに
第二次世界大戦による物資の欠乏など数々の危機が襲いかかりますが、
それを逆手に取ったバンブーバッグの発明などで
これを乗り越えグローバルラグジュアリーブランドとして飛躍します。
第二の危機は創業家の内紛。
家族経営で拡大してきたグッチのブランド価値を損なったのは家族間の争いでした、
これにより、グッチの営業利益率は1992年にマイナス15%まで落ち込みます。
が、その後経営者とデザイナーが交代する事により、
1998年は営業利益率23%と大幅に収益状況を回復させます。
第三の危機は2000年代。
グッチの救世主となった経営者とデザイナーがグッチを去る事で
グッチの売上は落ち込みますが、
ブランドのマネジメント手法の見直しによりこれも乗り越えます。
このようにグッチは劇的で急激なブランドの浮き沈みを経験し克服してきた
稀有なラグジュアリーブランドであり、現在も高いブランド資産価値を誇っているという点で
グッチを研究する事はラグジュアリーブランドの本質的なマネジメント手法を
より明確化する事に繋がると筆者は指摘します。
・今の日本人のライフスタイルはイタリア人化している
第2章は「グッチ・グループの形成」。
イブ・サンローランやバレンシアガなどの老舗ブランドから
アレキサンダー・マックイーンやステラ・マッカートニーなどの
デザイナーズブランドまで様々なブランドを擁するラグジュアリーコングロマリットに成長した
グッチ・グループがどのように形成されているかが紹介されています。
この章で面白かったのはイタリア人とフランス人のライフスタイルの比較です。
グッチを中心とするラグジュアリーコングロマリット、ケリング・グループと激しい争いを繰り広げる
世界最大のラグジュアリーコングロマリット、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)との
フランス人が重視するのはハレの日の豪勢さ。
高級レストランでの食事や美術館に行って美しい絵画を見るなど、
非日常の贅沢さがフランス人のラグジュアリーであるのに対し、
イタリア人は日常生活を重視するそうです。
高級レストランよりも自宅のお洒落ななダイニングでの洗練された食事だったり、
美術館に行くよりも自宅のインテリアに凝ったりと
イタリア人は普段の生活の中に幸せを求めます。
今、日本のファッションシーンでは持て囃されている「ライフスタイル」は
イタリア人のそれに近いものだという事が認識できました。
今までの日本人のライフスタイルはフランス人的だったのでしょうね。
・昭和の日本に通ずるグッチの家族経営
第3章は「グッチ家のファミリービジネス」。
グッチオ・グッチが創業し、家族経営で世界的なラグジュアリーブランドに成長した
グッチの軌跡を紹介しているのがこの章。
イタリア生産にこだわりイタリアの職人を大事にした創業者グッチオ・グッチ。
グッチの職人は材料費さえ支払えば職人が妻や娘、恋人に
鞄をつくってもかまわないという日が設定されていたというエピソードがあります。
このような人を大事にする経営は昭和の日本企業に通ずる精神を感じました。
・ハングリーな天才デザイナー、トム・フォード
第4章は「トム・フォード×ドメニコ・デ・ソーレ」。
家族経営の行き詰まりからグッチを救ったのが二人のアメリカ人、
ワシントンで法律事務所を開いていたドメニコ・デ・ソーレと
テキサス州で生まれサンタフェで育ったトム・フォードです。
この章で紹介されるトム・フォードのパワフルさとハングリーさには驚きます。
中でもトム・フォードがイブ・サンローランのデザイナーに就任する経緯は象徴的でした。
LVMHやプラダグループなどのグッチ株取得から端を発したグッチの買収危機は
フランスのPPR(ピノー・プランタン・ルドゥート)がホワイト・ナイトとして
グッチと提携に乗り出す事で収束を迎えます。
その時、PPRがドメニコ・デ・ソーレとトム・フォードに出した提案が
イブ・サンローランの経営をグッチに任せるという事でした。
トム・フォードはその申し出に対し、
「ぜひとも!YSLは世界一のブランドですよ!」と答え、
グッチに加え、イブ・サンローランのデザインも手掛ける事になりました。
その当時私は大学生。
最もブランドに対し興味がある時期で、
テレビ大阪のファッション通信は毎週録画してチェックしていましたし、
ハイファッションなどのモード系女性誌も購読していました。
そんな当時の私はトム・フォードに対し、
「グッチだけでなくイブ・サンローランのデザイナーもするなど傲慢だ!」
なんて思っていた事を覚えています。
裏でラグジュアリーコングロマリットによる買収劇など知る由もなかった
当時の自分の若さを恥じてしまいます。
その後、2004年にドメニコ・デ・ソーレとトム・フォードはグッチを辞任します。
その一因にPPRがグッチ・グループへの発言力をもっと高めようとする事に対し、
ドメニコ・デ・ソーレとトム・フォードが反発した事が挙げられています。
これに関し、ジョルジオ・アルマーニは株式公開しない理由を
「投資家はブランドについて知りもしないのに、収益目標を前期比10%アップだとか
勝手に決めて、それを20%だ30%だといって上げていく」
「心理的にそうやってせかされるのは我々の仕事にとって良いことがない。
情熱に枷をはめるようなものだ」
と語っています。
・年末年始にお薦め
今回のエントリでは触れませんでしたが、
本書のメインテーマはイノベーション。
グッチがいかにして危機を乗り越えてきたかが本題ですが
そこは是非ご自分で読んでいただきたいと思います。
400ページ超と結構分厚い本なので、時間のある年末年始に良いのではないでしょうか。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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このエントリを書いた人
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