2014年2月13日木曜日

アディダスがオリンピックを金まみれにした?アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争







先日ご紹介したナイキに関する書籍同様、

山田耕史のファッションブログ: ナイキがいつまでも革新的なブランドである秘密。

図書館で偶然目にしたこちら。



アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争

結論から言うと、この本、

かなり面白いです。




私はファッションからの視点から

アディダスやプーマの成り立ちを知りたくて

この本を手にしましたが、

ファッション好きだけでなく

サッカーや陸上などのスポーツ好きは勿論、

更にはオリンピックやサッカーワールドカップなどの

スポーツイベントが好きな方にも是非読んでいただきたい書籍です。

何故なら本書を読むと

例えば田中将大投手のような一部のスポーツ選手に

数百億円といった目もくらむなギャランティーが支払われる事も

元をたどって行けば

アディダスとプーマの争いに行き着くという、

このドイツの兄弟がつくったふたつのブランドが

現在のスポーツシーンを形作る上で大きな影響を与えた、という

事実が明らかになるからです。



物語はアドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラー、

ふたりの兄弟が力を合わせてスポーツシューズを作り、

人気のブランドになっていく所から始まります。

その後、兄弟仲は悪化し、

兄ルドルフ・ダスラーはプーマを

弟アドルフ・ダスラーはアディダスを創始。

家族経営で始まったこのふたつの会社を

ルドルフ、アドルフのふたりと

その死後にふたりの遺志を受け継いだ子孫達が

アディダスとプーマを

世界的スポーツブランドに成長させるまでの道のりが

主にアディダスを軸に描かれています。


兄弟仲の悪さがその生誕のきっかけとなった

アディダスとプーマはお互いを不倶戴天の敵として切磋琢磨、

あるいは醜いまでに足を引っ張り合って成長して行きます。

その主な戦場となったのがオリンピックでした。

自社のシューズを履いたアスリートがテレビに映る事が

莫大な宣伝になると気付いた両社は

アスリートに自社のシューズを履いてもらう為に

賄賂合戦を始めます。

メルボルンオリンピックでは

アディダスがスパイクシューズを選手に無料配布し

ライバルブランドに差を付けると

次のローマオリンピックではプーマも負けじと

一流選手に接触し自社のスパイクシューズを提供し始めます。

しかし、プーマがアディダスに勝つにはそれだけでは不足でした。

それを補う為にプーマは多額のボーナスを選手に渡すようになります。

ローマオリンピックの4年後の東京オリンピックでも賄賂は飛び交っており、

200メートル走で金メダルを取ったアメリカのヘンリー・カーは

「東京でのことはよく覚えていますよ。
まるでジェームズ・ボンドかミステリー映画のようでね。
シューズメーカーのエージェントがトイレに入り、個室の陰に封筒を置いていくと、
私がすぐ後からその個室に入るんです。
封筒の中を見ると、5ドル札や10ドル札で600~700ドルとか、
時には数千ドル入っていることもありました」

と語っています。

オリンピックが巨大なビジネスの場になり、

多額の闇の金が行き交う場である事が以前ニュースにもなりましたが、

プーマとアディダスの競争がその発端となったと言えるでしょう。


サッカーのワールドカップでもオリンピック同様、

多額の裏金がまかり通っていました。

そんな中、

1970年のメキシコ大会ではプーマとアディダスとの間で

驚くべき取り決めが交わされていました。

それは「ペレ協定」という取り決めです。

ブラジルのスター選手、ペレを奪い合ったら

金額が許容範囲を超え、

極端に釣り上がるのが目に見えていたので

ペレだけには決して手を出さないという内容でした。

しかし、プーマやアディダスからの大口のオファーがない事を不思議に思った

ペレ自身がプーマの社員をせっつき、

そのチャンスに抗し切れなかったプーマは

アディダスとの約束を反故し契約を結んでしまいます。

そしてプーマはペレに宣伝効果を高めるちょっとした仕掛けをさせます。

キックオフの直前にペレが審判に話しかけ、
ちょっと待ってくれるように頼む。
それからペレは膝をつき、おもむろに靴紐を結び直す。
数秒の間、世界の何百万というテレビ画面いっぱいに
ペレの靴が映し出されるというわけだ
こうしてプーマはペレのシグネチャーモデル、キングの

その後何年にもわたる多大な注文を手にしたのです。


また、1960年代、

成長を続けるアディダスはコンバースの独壇場だったバスケットボールシューズに参入。

キャンバス製のコンバースオールスターの対抗商品として

オールレザーのスーパースターを発表しました。

アディダス営業マンが

リーグ最下位のチーム、サンディエゴ・ロケッツの選手に頼み込んで

スーパースターを着用してもらうと

性能で上回るアディダススーパースターは徐々にコンバースオールスターを圧倒。

スーパースターの発表後4年足らずでアメリカのプロバスケットボール選手の

約85%がアディダスを着用するに至りました。

これに対し、コンバースは選手との専属契約を結ぶ事で反撃。

コマーシャルの出演料として数百万ドルが動くビジネスへと発展していきました。


こうして拡大を続けたアディダスとプーマですが、

70年代からジョギングブームに乗ったナイキが台頭し始めます。

80年代半ばまでにアディダスのアメリカでの年間売上げは

毎年2桁の伸びを示していましたが、

ナイキはそれを上回る急成長を実現させていました。

1984年のロサンゼルスオリンピックでは

アディダスは1500万ドルの予算を用意し

ロサンゼルスの銀行に口座を開いて貸し金庫を借り、

今までと同様選手に対し「銀行の明細書に出ない支払い」を続けていましたが、

ナイキは全く別のマーケティングの方法を取りました。

それまで何百人というランナーを支援してきたナイキは

小規模の専属契約では効果が分散してしまうと感じ、

ナイキのブランドの確立に役立つ

限られた数の選手に集中的に金をかけるようにしました。

それに選ばれたのがカール・ルイスやジョン・マッケンロー。

オリンピックの期間中に印象的なビデオクリップを放送し、

未だ商品の宣伝だけの広告しかなかったアディダスとは

一線を画す新たな戦略を打ち出しました。

また、アディダスの幹部がスポーツ界の大物と

ヒルトンホテルでカクテルを飲みつつ会談するのに対し、

ナイキは浜辺に繰り出し即席のビールパーティーを開くなど、

巨大な帝王アディダスに対する反逆児としてナイキは成長していきます。



後々、そのナイキの象徴になるのがマイケル・ジョーダン。

彼がナイキと契約に至った経緯が面白かったので

少し長いですが引用します。

問題は、マイケル・ジョーダン自身が「アディダスの大ファン」を
自認していることだった。練習中はいつもアディダスを履き、
試合では仕方なく、大学チームのユニフォームの一部として
指定されていたコンバースの靴紐を結ぶのである。
マイケル・ジョーダンは他のどのブランドよりも
スリーストライプが気に入っていると、ナイキ側にはっきりと行った。
母親に引きずられるようにしてオレゴンに来たときも、
「他の靴は履きたくない」と、ナイキの重役に向かって反抗的に言った。
ところが、アディダスがカリーム=アブドゥル・ジャバーに対して提示したのと同じ、
たった10万ドルしか自分に提示しないことを知ると、ジョーダンの気持ちは変わった。
ナイキとの契約なら約250万ドルに、
彼の名前の入った靴や衣類の売上げのロイヤルティまで入るのだ
マイケル・ジョーダンとナイキは切っても切れない関係性で

その蜜月っぷりは有名ですが、

それに至るまでにこういった過程があった事は

あまり知られてはいないのではないでしょうか。


また、本書ではアディダスとプーマの成長に欠かせない存在として

日本市場に関してもかなりのページを割かれています。

例えばアディダスと日本サッカーとの関係。

日本サッカー協会のスポンサーシップは

アディダス、プーマ、アシックスの3社間で取引が交わされ、

3社が持ち回りする事になっていましたが、

1998年に設立されたアディダスジャパンは

長年培った日本サッカー協会との関係性を武器に

競合のナイキに打ち勝ちサッカー日本代表との契約を獲得。

サッカーブームを盛り上げる為に様々な腐心をし、

例えば当時話題になった宮本恒靖選手のマスク。

これを作ったのもアディダスで、

数日間に200万個以上のマスクを配り

ワールドカップブームを盛り上げました。

その甲斐もあって2002年のワールドカップ日韓大会ではアディダスは

サッカーボール60万個、ジャージは60万着を売上げたそうです。



今回このエントリで取り上げたエピソードは

本書に紹介されている中のごく一部です。

他にも、トヨタカップが日本で開催に至った理由や

中村俊輔選手がアディダスと契約するに至った経緯と

その後のナイキとのアプローチ合戦のエピソード、

最近復活した「世界一売れたスニーカー」スタンスミスの製作の裏側など

ファッション好き、スポーツ好きであれば

よだれが出そう、かつ意外と知られていないエピソードが

多数収録されています。

Amazonでは古本が98円で売られているので






※注
ここで述べられている内容は書き手の所属する組織・団体の主張を
代表・代弁するものではなくあくまでも筆者一「個人」としてのものです。