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ブラジルワールドカップではミニマムコンセプトのサッカースパイクに注目。



こんにちは。

Jリーグ創世記はマリノスファンだった山田です。

木村和司が好きでした。



サッカーのブラジルワールドカップが迫ってきましたね。

以前のエントリでご紹介したように、

山田耕史のファッションブログ: アディダスがオリンピックを金まみれにした?アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争

ワールドカップはスポーツブランドにとって最大の宣伝場所のひとつ。

今回のブラジルワールドカップに向け、

既にこのような報道もされています。

“負けられない戦い”足元も 日本代表のスパイク 各社技術力で勝負 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

日本代表の選手が使用するスパイクで高いシェアを誇るのが

ナイキとアディダス。


画像引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140518-00000053-san-bus_all.view-000

アディダスはブラジルワールドカップに「バトルコレクション」というモデルを投入。


画像引用元:http://qoly.jp/2014/05/13/adidas-football-boots-battle-pack

メッシ選手や香川選手などの人気プレイヤーがこれを履いてワールドカップに出場します。

対するナイキが投入するのはこちら。


画像引用元:http://www.nike.com/jp/ja_jp/c/football/mercurial?intpromo=wldcup:gfb-slp:fst:mercurial-silo

「マーキュリアルスーパーフライ」という、

まるで靴下のようなニット素材のスパイクです。

このスパイクの機能性はこちらのリンクを参照して下さい。

すべては“スピード”のために--ナイキの新スパイク「マーキュリアルスーパーフライ」のテクノロジ - CNET Japan

ナイキは近年、この「マーキュリアルスーパーフライ」にも用いられている

「フライニット」という素材に注力しており、

ランニングシューズではもうお馴染みの素材になっています。

ランニングシューズは“フィット感戦争”へ!? 2014年注目モデル大集合 日経トレンディネット

しかし、このニット素材のシューズはナイキの専売特許ではなく、

実はアディダスも似たようなコンセプトのニット素材靴下系スパイクを発表しています。


画像引用元:http://web.gekisaka.jp/news/detail/?134147-134147-fl

ニット素材でサッカースパイクを製造したのはアディダスの方が早かったようで、

Pro-Direct Soccer - adidas Samba Primeknit FG Football Boots, Cleats, Limited Edition

こちらのサイトには

the world's first kinitted football boots

という謳い文句が付いています。

世界初のニット製スパイクが発売開始…スアレスが着用し、早速1ゴール (SOCCER KING) - Yahoo!ニュース


今まで、スポーツブランド各社は

ナイキの「AIR」に代表されるような

クッショニングシステムで地面からの衝撃を吸収し、

如何にプレイヤーの脚を保護するかでしのぎを削って来ました。

しかし、最近その傾向が変わりつつあります。

それは

ミニマム

という考え方の登場です。

シューズの機能を最低限度に抑え、

脚が本来持っていた能力を発揮させるという

ベアフットランニングを実現させる

伊ビブラム社のファイブフィンガーズに代表されるような



ミニマムコンセプトシューズは

特にランニングシューズで最近増加しており、

ナイキのFREEや



アディダスのadipure、



ニューバランスのMinimusなど、



大手スポーツブランドも続々とミニマムコンセプトランニングシューズをリリースしています。

このランニングシューズから生まれた

ミニマムコンセプトがサッカーなど他のスポーツに転用されるようになり

上述のような靴下のようなスパイクが生まれた、

というのが最近のスポーツシューズの流れだと考えています。


今回のワールドカップを機に

ミニマムコンセプトシューズはますます注目度を高めそうです。

今、一般消費者が目にするスポーツシューズは

しっかりとしたクッショニングシステムを持ったアイテムが主流ですが、

今後ミニマムコンセプトのシューズがどんどん増えていきそうな予感がします。


※注
ここで述べられている内容は書き手の所属する組織・団体の主張を
代表・代弁するものではなくあくまでも筆者一「個人」としてのものです。